青りんごの本棚

ごはんと本とコーヒーと

麒麟に呼ばれる~今村夏子『こちらあみ子』

こちらあみ子

ある日。

目があった瞬間に「読めばいい」と、その生き物は言った。
いやに挑戦的なその態度に私は
ほう、とひとことつれなく返す。


あのね、私に甘い声をかけてくる本はあなただけじゃないのよ。

だって、ここは図書館でしょ。

本なら燃やしても余るほどあるのよ。

むろん、臆病なわたしは本を燃やすどころか、傷つけることは絶対にしない。

 

そう、とユニコーンのような姿をした

奇妙で美しい生き物がしゅんとしてうつむく。

 わたしは意地悪なんかじゃない。

 

「あなた以前どこかで会ったことがあるわ」

見覚えがある気がしてたずねる。

「きっと似ているだれかよ。私じゃないわ」

本人が言うのだからそうなのだろう。

 

 

どこで会ったのか思い出せないまま、

その奇妙な生き物を本棚からそっと掬い上げると

年季の入った絵本バックへと忍ばせ、

何食わぬ顔で図書館を後にした。

 

あみ子は、自分の名前を知っていたのだろうか。

のり君が佳範だったように、

「あみ子」にも別の名前があったのかもしれない。

 

あみ子の本当の名前は

たぶん、あみ子も知らないね。

 

物語はあみ子だけのもので

あみ子の外に物語は存在しない。

 

翌日はいやに空が青い日で、公園の中を通って図書館へ向かう。

本棚にこっそり本を返す瞬間、

だれにも聞かれないように、そっと耳もとにささやいた。

「あなたのタイトルの響きがとても気に入ってたわ」

 どこかで見た気がしたあの不思議な生き物は

「麒麟」なのだという。

 

 

図書館に本を返却してからのわたしはすっかり抜け殻だった。

二冊と同じ本は借りないというルールはわたしと麒麟を隔て、

日に日にわたしとあみ子の境界線は薄くなり、

それを麒麟が横から見ていた。

 

文庫本が本屋に並ぶころ、

わたしは意気揚々と麒麟を迎えに行った。

 

 

「目が合った瞬間からあなたが特別になるって気づいてたわ」

淀みないわたしに、表紙の麒麟が「ほう」とそっけなく啼いた。