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鶏肉のから揚げ弁当と金城一紀『GO!』~高校生におすすめの本

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おはようございます( ^ω^ )

いつになく、寒さのつづくゴールデンウィーク。

洗濯物が乾かなくちゃ困ると、ストーブ稼働で、そろそろ灯油がなくなりそうよ。

 

仕事の人、部活の人遊びに行く人を送り出し、のんびり好きな本を読みながら朝ごはんを食べる。

ご飯食べながら本を読むなんて、なんてお行儀の悪い。

本が汚れたらどうするのか?

買ってくるもん。

だっていま、ブックオフ20%オフだもん。←TUTAYAも半額でした。

 

『GO!』金城一紀

これは日本で生まれ育った《在日韓国人》の僕と

日本で生まれ育った《在日日本人》の女の子との、恋の物語。

 

どこかロミオとジュリエットのようなふたりの恋物語を髄まで堪能するためには、僕・杉原のこれまでを知る必要がある。それには父親の歴史にまでさかのぼる。

 

杉原の父親は、韓国の済州島生まれ。数年前まで朝鮮籍をもついわゆる《在日朝鮮人》だった。なぜ韓国で生まれたのに、韓国籍でないのか。答えは簡単、戦争が起こったから。

第二次世界大戦下で、韓国(朝鮮)は日本の統治下におかれた。人々は《日本人》としての生活を強制される。日本の軍需工場に徴用された杉原の祖父母とともに、杉原の父は日本にやってきた。

1945年8月15日ポツダム宣言を受諾し、戦争は終わった。

《日本人》として日本に渡ってきた人たちは、敗戦とともに《日本人》ではなくなり解放されるのだが、終戦から間もない1950年朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発する。

第二次世界大戦以前の王朝制はなくなり、かつてひとつの国だった朝鮮は「韓国」と「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」のふたつの国に分断された。このとき、日本に在留していた朝鮮籍をもつ人たちは、どちらかの国籍を選ばなければならなくなった。

杉原の父は、ここで《朝鮮籍》を選択した。

杉原の父親は、ボクサーを引退後、パチンコの景品交換所を経営しながら、長い間《在日朝鮮人》として日本で暮らしてきたが、ある日突然「ハワイ旅行」を決意し、国籍を変えることになる。

アメリカと国交がない北朝鮮の国籍では、ハワイへのビザが下りないのだ。(ハワイに限らず、北朝鮮籍で手軽に旅行できる国は極端に少ない)こうして杉原の父親は、韓国籍を手に入れる。

日本で生まれ日本で育ち、《在日朝鮮人》としていわるゆ朝鮮学校に通う杉原は、中学2年生の時、《在日韓国人》になった。もちろん、中身はなにも変わらない。反抗期でヒネクレた悪ガキの杉原でしかない。

こうして《在日朝鮮人》を捨てた杉原は、自分の未来を自分で手に入れることにした。

民族学校を飛び出し、日本の高校を受験した。

偏差値が「卵の白身部分のカロリー数ぐらい」しかない、都内の私立男子高に通う杉原は、ある日、友人・加藤(父親がヤクザ)の誕生日パーティーで、ひとりの女の子と出会う。

突然目の前に現れた彼女は、コケティッシュな魅力で彼の心をつかんだ。

 

日本で生まれ育った《在日韓国人》の僕・杉原と

日本で生まれ育った《在日日本人》の女の子・桜井との恋のはじまり。

 

ここまでが最初の40ページくらい。

ごくふつうの高校生のふたりは、ごくふつうの恋をする。

ふたりでカッコいい映画を観たり、クールな音楽を教え合ったり、美術館でシャガールやダリをながめたり、キスをしたり、抱き合ったり。

しかし、ほとんどの恋愛と同じように、なんの障害もないような彼らの恋にもまた壁が立ちはだかる。

 

自分はなにものか

迷いながらもみつけて「ゆくゆるぎない自分の存在」を「アイデンティティ」という。

例えば、わたしは日本人だ。

例えば、わたしは女性だ。

例えば、わたしは母だ。

例えば、わたしは本を読むのが好きだ。

例えば…。

アイデンティティとは、ある意味では自分を分類することでもある。

「日本人」「女性」「母」「本が好き」

もちろんそれだけではないが、自分がどこに属するのかは「アイデンティティ」を決めるひとつの要素でもある。「自分」と「自分でないもの」を分類すること。明白なようでいて、しかしその基準は、他者から与えられた価値観に過ぎないのでないだろうか。

性別はなにで判断するのか?

愛情を持てなくても、育児を放棄しても母親であることに違いはないのか。

年間20冊しか本を読まない人と、年間200冊読んでいる人の「本が好き」な同じなのか。

 

 

わたしたちは、あらゆるものに名前をつけて分類したがるけれど、名前をつけて分類して、それで安心しているなんてなんだかチープだ。

 

「自分とはなにか」

その答えは自分の中にしかない。

しかし、もしも、自分の中に見つけた自分を他者に受け入れられないとしたら、「どうせ俺のことなんて誰にもわからないさ」と自分を閉ざすしかないだろう。

他者に認められてこそ、「自分」を受け入れて「アイデンティティを確立」することがではないだろうか。

「自分とはなにか」答えは自分の中にあるが、桜井が出した答えこそが杉原の中に揺らぐことのない「自分」を位置付けるのだと思う。

 

高校生におすすめしたい1冊。

中高生の時にこの本に出会っていたら、わたしの中に電流を流れたに違いない。そしたら、今ごろ自家発電できていたかもしれない。

自家発電できないので、そろそろ灯油を買ってきます。

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