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ロマンチックと狂気のあいだで揺れる~江國香織『神様のボート』

この本に出会ったのがもう10年も前になるなんて、時間の流れにも自分が変わってしまったことにも驚いてしまう。

 

「あの人のいない場所になじむわけにはいかない」と、娘を連れ、引越しを繰り返しながら、消えた男を信じて待ちつづける葉子。

 

移動しながらだれかを待つなんておかしな女だと笑ってみても

すべてを投げ捨てても構わないほどの純真さをうらやむ。

 

あのひとにくっついて、暮らす町を転々としていた。

かつて、わたしも葉子だった。

なぜ、ただ彼についていくことができるのだろうかと、

いまは思う。

 

奥底に小さくあった疑問の答えを彼女の中に見つけたとき、

思わず「あっ」と声が漏れ、

それは私の中に小さな灯となった。

 

私もまた、神様のボートに乗りこんでいたのだと知った。

自分のためだけに。

自分の中に純真さともいえる狂気を作りだし、

いつしか考えたり選ぶことをやめたのだと知った。

 

それはそれで、すごく幸せなことだった。

だって。

わたしには、ほかになにもいらないと思えるほどの

たったひとつのものがあったのだから。

その時には。

 

けれど、物語も現実もそうはいかない。

 

骨ごと溶けるような恋の末に生まれた草子もやがて中学生となり

ロマンチスト培養から少しづつ社会へと足を踏み出していく。

 

過ぎ去ったことは箱の中、とは葉子と草子の合言葉。

 

引越した先の思い出は箱の中へ。

 

やがて草子も、葉子との2人だけの日々を箱の中に入れて前へ進む。

 

でも、葉子があの人を待つことはいつまでも箱の中には入らない。

 

終わりのない彼女の狂気に自分を重ねて安心していたあの頃のわたしも、いつしか箱の中にしまいこまれてしまった。

 

そして今でも時折、本箱の中からこの本を取り出しては、

あの頃の自分を探しているのだろう。

 

 骨ごと溶けるような恋の続きを求めて選んだのは、たどり着くことのない神様のボート。

終わりのない旅は、ロマンチックか狂気か。

もしくは、そのふたつは同じ場所にあるのかも。