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青りんごの本棚

~本とごはんとコーヒーと。10代の読書案内~

『おばあちゃん泣いて笑ってシャッターをきるー戦争とダムにうばわれた70年の人生』

図書室で偶然見つけた本。タイトルから、カメラ好きなおばあちゃんのおはなしかと手にしてみると、ダムに奪われゆくふるさと・旧徳山村の姿をカメラにおさめ続けたおばあちゃんのノンフィクション。

 

 

岐阜県揖斐郡徳山村は、2006年に日本一の貯水量を持つダムの湖底へと沈み、現在は地図から消えた今は存在しない村です。

 

私がこの村の存在を知ったのは、大西暢夫さんの写真絵本『おばあちゃんは木になった (シリーズ・自然 いのち ひと)』がきっかけでした。

 

最後まで村とともにありたいと暮らしを続けるおじいちゃんおばあちゃんの姿が、いつまでも胸にのこります。

 

私は、ダム建設には必ずしも反対ではありません。氾濫や水枯れのある地域にとって水量調節のためのダムは必要であると言われれば、否定できません。単純に、巨大建造物としてのダムの迫力にも心を奪われます。電力供給のための巨大ダムが必要かと問われれば、否ですが。単純に私自身がそれほどまでの電力を使用していないだろうから。大自然の中で暮らしてきた徳山村の住民も同じようなことを考えた人も多かったのではないでしょうか。(徳山ダムは発電も目的とする多目的ダですが、平成24年現在、まだ電力供給はしていません)

 

たづ子おばあちゃんは、戦争に旦那さんや弟を奪われ、ダム建設でふるさとを追われました。戦争から戻らなかった夫が、万一ひょっこり帰国したとき、村がなくなったのはどういうわけだと聞かれたら、説明だけでは納得してもらえないだろうからと、録音と写真で変わりゆくふるさとの姿を記録に残すことにしたそうです。

 

この本は問いかけます。
人々の生活を追いやり、村をまるごと沈めても、ダムや電力は必要なのでしょうか。
より多くの人の利益のためには、犠牲になる人が出るのは避けられないことなのでしょうか。

 

「国は一度やるといったら、あんらんとう(私たち)が反対してもやりとおす。」

 


お国のためと夫や弟を送りだした苦い戦争の思いを胸にこう語るたづ子さんの言葉が、強く響きます。

片手にいつでも断ち切れる鋏を手にしながら、もう片方で「絆」などと判を押した糸を垂らす。辞書にはないが、その関係は「信頼」とは言えないのではないかしら。

ダムマニア - DAM MANIA

 

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たづ子さんの作品集

 

ありがとう徳山村―増山たづ子写真集

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故郷―私の徳山村写真日記

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