青りんごの本棚

ごはんと本とコーヒーと

たとえ、女手ひとつで砂を掻きだせるのだとしても。~安部公房『砂の女』

ある日。

 

こうして毎日、のこのこと雪に降られてはたまらないわねぇ。

一日に何度、雪片付けをしなくちゃならないのか。

窓の外をながめては、いい加減嫌気がさして、ほぅとため息をつく。

しかし、それも仕方がないこと。

ここに生まれて、ここに住み付くものの定めというもの。

そうして、降り積もりゆく雪をながめて思い浮かぶのは、安部公房の「砂の女」。

夏の物語であるのに、ふしぎ。

「八月のある日、男が一人、行方不明になった。」の文章ではじまるこの物語。

 

砂丘へ昆虫採集に出掛けたはずの男が、一晩泊めてもらった家から出られなくなってしまう。

 

正確に言うと家の外へは出られるのだが、そこから抜け出すことができない。

 

それも、突拍子もない事件が起こるわけでもなく、淡々と「出られなってしまう」のである。

 

10代で初めて読んだ時は、エロくてこわい大人のおはなしだと思った。

出られなくなる男も、出て行けない女も哀れだった。

夫が単身赴任のアラフォー女は、家に男手がなければ、切れた電球も自分で替えるし、重い雪片付けだってこなす。重たい灯油缶を両手に抱えて、アパートの階段を5階までも運び上げる。

 

男だって、彩りのいいお弁当を自分で作る時代だもの。

 

今なら、自分の生活を支えるために、男を無理やりに手元に置く必要はないのだろうか。

それでも、冷え切った窓からの景色を一緒にながめるだれかは、いて欲しい。

 

「男だから」とか「女だから」なんて考えは、古くてナンセンスと片付けられてしまうけれど、男だ女だということは、やっぱりあって当たり前だろう。

あたたかい部屋にごろんと転がり、いつまでも止まなそうな雪を尻目に、あのころは思い至らなかった、そんなことを考えてみたりする。

 

だってほら、まだ家がつぶれそうなほどに降り積もってるわけじゃないからね。